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携帯電話の普及率が国内人口の61%にも到達し、新規加入が鈍化しているという報道がありました。もはや飽和状態といってよいのでしょう。車が足腰を弱らせるのと同じように、便利な快適生活にはそれなりの副作用も付きまとうもののようで、ケータイも例外ではありません。顔の見えない通信を可能とするテレ・コミュニケーションの発達によって、私たちの対人関係の様態が変化してきているように思います。少なくとも、精神医療に寄せられる人間関係上の悩みは、一世代前とは随分と様変わりしております。 対人関係の悩みといえば、かつてはもっぱら「恥の意識」に由来する対人恐怖症でした。相手と馴れ親しみたいと願望していても、自分の弱点が相手のまなざしに暴かれてしまう恥意識から対人場面を回避する症状です。人前で、たとえば赤面や顔のこわばり、声の震えというような自己の瑕疵が相手との親密欲求を破綻させてしまう怖れであって、つまり対人恐怖症は人嫌いでも他者不信でもなく、むしろ対人場面における己(おのれ)恐怖症と言ってよいのです。 しかし現代では、他者に対する不信を根底とする対人関係の悩みが目立ちます。友達ができない、みんな仲良くしていて自分だけ取り残されているといった孤立感や、あるいは友達は表向き仲良くしているが裏で悪口言っていて信用ならないなどの不信感です。 実際のところ、今日の若者は能動的に人間関係を作ろうとしませんし、作るのも下手といえます。仮に出会いの場があっても表層的な付き合いに終始し、人格的な触れ合いを避けがちです。傷つくのが怖いのです。嫌われる不安、相手に呑み込まれる不安なのです。人に対する「怯えの心理」と形容したらいいでしょう。若者が、顔の見えないネット上の通信に走ったり、面前の存在に無関心、無視を装う態度をとるのも、まさに対人的怯えの現れなのです。 少子・車社会の必然なのでしょうか、群れて人と遊べない、遊びを創れない、大人に遊んでもらいたがる、そして全体のため人のために働かない性格傾向が瀰漫しております。彼らに共通するのは、「群れる体験」の乏しさであり、小中学校時代の「いじめられ体験」です。 しかし、社会病理を嘆いているだけでは人を育むことにはなりません。親兄弟といった身内以外の、顔の見える結びつきは教師・生徒、上司・部下、治療者・患者という社会的役割関係が出会いの契機でしかありませんので、怯えの心理を抱えるこのような若者には、まずはこの役割的な二者関係が安定的である必要性があります。その関係枠で安全感が保障されなければ出立する力をもらえず、渡る世間は鬼だらけとなってしまいます。
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