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退却する若者に対する社会化支援

 

1.はじめに

不登校・引きこもりといった退却する若者に精神科医療は無力であった、といったら過言であろうか。
 かりに疾病に起因する退却であっても、症状が治癒しても退却の様態が残存し続けるのは、彼らに疾病以前に何か社会に出る力が不足しているか、精神科医療に何かが欠けているから、と見るべきである。おそらく両方であろう。
 不登校は減る兆しはなく毎年12万人も計上されるのは生徒の心に現行の学校教育が適合しなくなった学校病理の問題と見ることができるし、また若年無業者82万人(「青少年白書」09)・引きこもり160万人以上(NHK福祉ネットワーク05)と推計される社会的退却の病理を豊かさの病理や経済不況といった社会病理の問題にと外在化できるのだが、しかし退却する彼らに社会参加する力が脆弱なのも確かであり、その治療に当たる精神科医療にも限界があったと言えよう。  
 二つの限界である。まずは診察室という一対一の治療構造上の限界である。カウンセリング等の心理療法は患者に一服の癒しを与えられても、患者の成長を促進する力としては弱いという制約である。第二に、精神科薬物療法は症状治癒は可能でも患者の社会的スキルの開発にはならないという制限である。退却する若者にはこういった従来型の精神科治療だけでは不十分であり、社会性を向上させる治療とは別の支援が必要とされる所以である。
 厚生労働省、内閣府等の行政はニートと称される若年無業者には就労を目的とするさまざまの支援施策(若者自立塾、ジョブカフェ、地域サポステ等)をとってきた。しかし、その成果は上がっているとは言えず、むしろニートから続発する引きこもりの支援策こそがいま求められている。実際のところ、多くの彼らには就労自立以前に「社会化」を育成する支援が求められている。
 長信田の森では医学モデルに成長促進的な教育活動を融合した、いわば「育む精神医療」を展開してきた。その経験から内閉する若者を社会化へと育む医療について論じたい。

 2.引きこもりの病理

学校嫌い、学校恐怖症といわれた不登校は60年代から見出されてわが国の学校臨床の俎上に乗ったものの、その後も減少することなく今日では小学生の0.3%、中学では2.9%の発生頻度になっている。文科省では不登校が引きこもりへと陥らないようにと心の教室等の適応指導教室を設置しているが引きこもる不登校は減っていない。義務教育以後の学校不適応は退学(高校では約2%)へと直結し、退学者がフリーターとして社会参加できても職を失すればニートへ、もしニート状態が長期化すれば社会的役割参加の喪失や対人関係の狭小化・限局化を余儀なくされて、引きこもりと呼ばれる事態に陥ることになるが、その実数は詳らかではない(1)
 ニートも引きこもりも持続する不況経済の産物として見る向きもあるが、実際には好況の頃から、いわばモノ・カネに豊かになった時代にすでにスチューデント・アパシー(笠原嘉73)、退却神経症(笠原嘉78)、青い鳥症候群(清水将之83)、パラサイトシングル(山田昌弘99)などと形容される若者の退却現象はあって、アイデンティティ探求の様態、優しさの病理、プライバタイゼーション(私事化)の病理として解釈されてきた。しかし、教育・治療的にも行政的にも効果的な手段を開発できずに重大な社会病理問題となって久しい。
 引きこもりの理解にあたり、不登校でもそうであったように、齋藤環の「ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくい引きこもり」という非精神病性に力点を置いた定義が一般化したために、社会病理として理解され家族病理の解明にも寄与したが、個人の精神病理が軽視されてしまうきらいがあった。実際のところ不登校でも引きこもりでも、精神病ではないにせよ精神障害が無関係ではなく、最近ではとくに発達障害の潜在も注目されてきている(2)
 精神障害の有無にかかわらず、引きこもりという社会参加の長期的な退縮で失うものは何であろうか。まずは人間関係の縮小・切断、そして体験の制限である。これらから引きこもる者は参加不能の負い目、劣等感、自信喪失といった否定的自己像を深め、そして成長可能性の制約まで受けているといってよい。実際彼らは自己像の曖昧さ、将来指針の不分明さ、見通しの無さのさなかに無力的に佇んでいるのである。
 精神科医療は精神障害の症状治癒には有効でも、社会参加の障害、社交の障害、自尊心の障害といった残遺する障害には非力である(3) 社会参加の制限には社会体験学習を、社交の制限にはコミュニケーション・スキルの開発教育を、そして否定的自己像には肯定的自己感情を育成する体験教育を必要とするからである。つまり精神科医療には医学モデルの治療に加えて、成長を支援し可能性を育成する教育モデルの支援が必要とされる。いわば「育む精神医療」である。育むというと医学医療ではリハビリを連想するが、ここでは失った機能の回復ではなく、もとより獲得してこなかったスキルの開発であるから、リハビリではなくハビリテーションとしての療育となる(4)

 3.引きこもり家族の支援

不登校・引きこもりの当人が自発的に医療を求めることは、まずない。ふつうは親の相談から始まる。引きこもる子どもにどう関わるべきか、医療に結びつけるにはどうしたらいいか、という相談である。いわば子を動かすマニュアルを期待しての来談であるが、残念ながらうまい殺し文句はない。したがって当事者なき親相談が長期にわたり、変化の兆しも見えない経過に親も相談医も無力感に苛まれるが、その相談から引きこもる彼らもまた退却態勢に自我異質性を感じていながらも生活を変えようとする能動性は乏しく、また変える手立てもない無力な構えが見えてくる。
 引きこもりが長引くほどに、親は戸惑い自信を失い、子は卑屈・自己否定を深めて、親子の関係は一種の冷戦構造のように硬直化したまま時が流れている。
 子どもの引きこもり、キレる行動に、親は恐怖感を抱いては子に距離を措くべく不関性を装っているか逃げて別居しているか、あるいは負い目の意識からさながら家来のように服従するかホテルマンのごとくサービスするといった、「不自然な」親子関係の硬直した構造を保続しているさまは、さながら繋驢?(けろけつ)の例えがぴったりである(5)
 そのような硬直した不自然な親子関係の常態をどう修正できるかが当座の治療課題となる。まずは、親が繋がっていない所に引きこもりが動くことはないから、親が引きこもらず動き繋がることが重要。親は不登校・引きこもりの親の会や家族教室に参加すれば、これまでの関わりを相対化できるだけでなく、自責感と無力感に覆われた閉塞的な家庭状況を少しでも変えていこうとする元気や勇気をもらえることが期待される。当方では親向けの集団療法として家族教室、家族会を設置して親同士のピアカウンセリングの場としている。第二に、関心世界の共有である。内閉していても子どもは社会にアンテナを張って、豊かな内的世界を展開している。その関心世界を親が把握し尊重できるかが肝要である。子どもはインターネットや漫画、雑誌から入手する情報で、非現実的であれ関心世界を育んでいる。その関心世界を共有できれば親子の交流の窓が開かれよう。そして親が自分の関心や感動体験を子どもに計らいなく伝えられほどの自然さが回復すれば、子どもも親の関心に食指を伸ばす時が来る(誘惑の効用)。それを親子で一緒に実現すればいい。子どもも自力では生活を変えられない無力さを自覚しているのだから、親が繋がっている医療の話ができるようになれば支援を求めて外に動く時が必ず来る。しかし、親相談から子どもの受診までの時間の長短は親子関係の自然さの回復度合いに依る(6)

 4.引きこもる子どもの相談と心理療法

親相談から親に伴われて子どもが来談することになる。世間との久々の出会いであり、ましてや医者の診察であるから兢々として現れるが、イニシャルインタビューの感触が今後の来談継続に結び付くかどうかの鍵となるので慎重であらねばならない。まずは来談した勇気を最大限に評価する。多くの場合引きこもった過去のいきさつと自分なりの過去分析を語りたがるのだが、それは否定せず傾聴をしても拘泥せず、現状を変えたい欲求を明確化する。そして「過去を変えようとするより、今を変えよう」「今を変えられれば、将来を創れる」と説得する。さらに引きこもっても育んできた関心事に照明を当ててそれを評価できれば、子どもにとって否定されず受容される思いとなり、少なくとも継続相談が拒否されずに済むだろう。
 継続相談では、まずは関心事から世間へと開かれていくための激励を惜しまず、引きこもった過去分析よりも未来を語れる面接に心がけ、その試行錯誤へと応援する。治療者の期待を裏切るさまざまの症状の訴えや問題行動があっても、相談医と接点を求める手段と受け取ってこちらが振り回されない一貫性を保ち、カウンセラーというよりコーチ役、医者というより人生の先達として指導する姿勢が適当だと思う(1)
 医師患者という個人心理療法(二者関係)に安心・安全感が保障されれば、患者をデイケアやフリースペースといった鬼の棲む三者関係へ導入できよう。もしその二者関係がなければ患者にとってデイケアは鬼だらけの世間となってしまい、拒否されよう。個人精神療法はいわばシェルター(逃げ場)であり、鬼の棲む世界へと挑む勇気をもらえる場でなければならない。

 5.長信田の森の療育活動---精神科デイケア

長信田の森では、不登校・引きこもりのための若者宿(生活塾「自在館」)を併設している。起居をともにし、生活体験を共有するのである。日中はデイケア・プログラムに参加するのだが、そこから見える彼らの対人関係様式は、1)対人関係のスキルが低い(挨拶行動の萎縮・言語化が下手)  2)他者に無関心を装う構えで、能動的に働きかけない3)人間関係を希求していながら受動的・待ちの姿勢 4)大人との交流は抵抗少ないが、同世代同性と結びつきにくい 5)傷つきやすさゆえに、拒否・否定されることに弱い、拒否されないように・嫌われないようにと身構えながら人と付き合っている 6)自己抑制的で主張できない 7)気に入った相手、事柄、活動にしか興味を示さない 8)自分の気持ちをうまく言語化できない 9)全体のために動かない、などである。
 このような未熟な対人関係スキルは、生い立ち上のギャングエイジの欠落といじめられ体験(長信田の森デイケアでは全利用者の6割に、発達障害者の全例にいじめられ体験あり)と無縁ではないが、発達障害による未発達なソーシャルスキルに由来しているケースも多く、当院デイケアを利用する不登校・引きこもりの56%は発達障害の特性を持っている(7)
 対人関係スキルを開発するには、二者関係的なカウンセリングだけでは限度があるから、長信田の森では三者関係的な体験活動の場としてデイケアを実施している。そのプログラムの構成は、1)表現教育活動2)体験学習3)体育、の三部門に分類され、一週間、一ヶ月のカリキュラムに組み入れている(8)
 その活動例を挙げるならば、1) 表現教育では、SST,ドラマ制作、演劇・朗読劇といったドラマ教育、バンド演奏、描画、園芸などの表現活動であり、その成果を彼ら自身の手による祭やイベントで地域住民に鑑賞してもらうという活動である。2)体験学習では、NIE(教育の中に時事問題を取り入れる総合学習)から社会的関心を広げ、英検・漢字検定、高卒認定など具体的な目標を掲げて学習するプログラム、さらには地域の独居老人訪問、老人ホーム・保育園でのボランティア活動、職場体験などを介して人に役立ち、人に必要とされるといった自己効力感を育んでいる。3)体育・運動は単なるレクレーションスポーツとしてだけではなく、自身の限界に挑戦させる行軍、野球やバスケットなどのクラブチームを作って試合に臨み、その勝敗から悔しさも達成感も味わう体験としている。

 6.不登校・引きこもりの療育(まとめ)

 不登校・引きこもりには、自立支援の前にまずは社会化支援を必要とする。治療者・患者という二項的な関係では育みにくい社会化の開発には三者関係の治療教育が要請される。精神科医療ではデイケアにその機能が期待されるが、そこでは治療よりも成長促進的・開発的な性質の教育モデルのプログラムが要請される(9)
 つまり、まずは1)安全感の保証(安定的な二者関係=鬼の居る世間で傷ついても逃げられる個人精神療法)とデイケア等の三者関係の体験野(社会化育成の場)を用意し、そこでは2)互いがワークを共有することによる仲間体験と達成感を分かち合う体験による自己肯定感の育成、3)当面の目標設定による向上欲求の開発、4)ボランティア等の、人に役立ち感謝される体験、人に必要とされる体験から自己効力感の育成、5)達成感、自己肯定感、自己効力感の体験から彼らが否定的自己像を修正し、将来指針に向けた社会参加の試行へと推し進めていくプロセスである。
 このような社会化支援の教育では、医療スタッフは治療者・カウンセラーではなく、厳しくも情愛のある教師、コーチといった指導者的な性格像が適切である。

08/11/29日本心療内科学会(招待講演)

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