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長信田の森心療クリニック・生活塾自在館 児玉 隆治 1. はじめに 小診療所は、秋田でも片田舎に位置する農山村の地に平成13年10月に開設された。精神医療はまだまだ閉鎖的で閉塞的な精神衛生にあるこの地の精神風土に少しでも風穴を空けようという、いささか挑戦的な意思をもっての開院だった。石倉山という土地の名所の麓に居を構え長信田村の名を拝借したのは、私自身のギャングエイジへのノスタルジァでもあったが、都会にはない森という自然環境を治療活動に取り入れたかったからでもある。大学では学歴の成功者であっても育ちきっていない若者が少なくない実態に接していたので、若者の精神科を標榜し「あるもの(旧弊)壊す、ないもの創る」、「客待ちから出前へ」と発信する精神衛生の活動を、そして治療と教育を融合した「育む精神医療」の実践を、というスローガンを掲げての船出であった。その設立主意に賛同し旗揚げに加わった臨床スタッフたちは、青少年の心理臨床や非行臨床の経歴の持ち主であるともに教員の免許を有する熱血漢でもあったお陰で、標語倒れにならない活動を開発してきている。 長信田の森は精神科診療所と若者の社会化教育を目的とした若者宿「生活塾自在館」の二施設から成っており、両者を繋いで治療教育活動(育む精神医療)を展開する場がデイケアである。デイケアでは本日テーマとなる「人付き合いべた」の若者たちが多数参集しているので、ドラマ教育などの各種表現教育の活動が多くなるのが特徴といえよう。 辺鄙な地に在りながらも、外来全来談(総実数2400人/4年間)の六割が子どもあるいはその親たちであり、東北各県はもちろんのこと関東関西からも多くの若者に利用しているところから、青少年の臨床・育成教育においては全国区的な活動となっている。スタッフ10人という小さい所帯だがモチベーションの高い活躍から、「ないもの創る」精神衛生活動の創生や「出前」による既存の精神衛生関連機関と連携の育成強化をしてきており、そのような活動が評価されて先般日本精神衛生学会より栄えある土居健郎記念賞を拝受している。 2. 1) 退却現象の時代推移
学校嫌い、学校恐怖症といわれた学校不登校は60年代から見出されてわが国の学校臨床の俎上に乗ったものの、その後も減少することなく今日では小学生の0.4%、中学では2.7%の発生頻度になっている。義務教育以後の学校不適応は退学(高校では約2%)へと直結し、そのニート状態が長期化し社会的役割からの退避や対人関係の限局化が余儀なくされてくれば引きこもりと呼ばれる事態に陥ることになるが、その実数は正確には把握されていない。(表-1) ニートも引きこもりも、モノ・カネ的には豊かになった時代における若者たちの自分探しの佇みといってもよいのだが、教育・治療的に効果的な手段を開発できず行政的にも無策なままであれば、団塊世代が定年になった後々には家庭経済の大きな負担から重大な社会病理問題となってくるのは必定だろう。 2)
退却の性格発達上の背景
若者が退却する背景要因として、社会経済的な理由だけでなく、いくつかの側面から解釈される。まず社会心理的には、社会病理学の森田洋司が指摘するように、戦後日本人の意識の底流としてある私事を大切にする生き方(プライバタイゼーション)と、多様な生き方が可能な時代となってメリト・イデオロギーが今日の子どもたちには働かなくなっているから、退却に傾斜しやすい。一方発達心理的には以下の三点が特記される。(表-2略) まずは、子どもたちの遊びの三間喪失である。つまり子どもにとっては遊ぶ時間も空間も仲間もいないという心理発達上の制約である。二点目には少子化に伴うギャングエイジ体験の喪失である。この三者関係の喪失はその後の性格発達的に大きな影を落としており、非行臨床の世界でも問題視されているところである。このように地域社会で同世代と繋がらずに育つ子どもたちにとって第三の問題はイジメである。イジメは自尊感情を傷つけ他者不信形成に決定的で、その傷を年余に渡って引きずっている引きこもり事例も少なくない。私どものデイケアを利用する子どもたち(中学生から29歳までだが)でも、約6割が小学校時代にイジメられ体験を有しておりデイケア場面においても彼らは同世代を回避する姿が見えるほどである。
3) 昨今の子どもたちの性格像
これらの性向が対人的かつ社会的な困難・葛藤から退却させやすいし、また時には自虐的に時には反社会的に暴発させる要因にもなるといえよう。
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3. 不登校・引きこもりの治療教育---長信田の森の活動
1) 退却する子どもたちに何を治療するのか
不登校が学校に復帰すれば、引きこもりがアルバイトに就くようになれば、治ったといえるのだろうか。否である。彼らに対人関係能力が身につき、自己肯定感や自己効力感の体験から自尊心が回復しない限り、治療者が仮初めに学校や職場をあてがっても適応は続かない。長信田の森では毎年10名前後の不登校中学三年生が外来治療を経て高校に進学できているが、外来カウンセリングだけの子どもよりもデイケアを活用した生徒のほうがはるかに高校適応率は良い。つまり否定的な自己イメージを修正しうるような体験学習の場が重要となるのである。
先述したように今日の若者たちはギャングエイジを経ていず、しかも同世代にイジメられ体験があるから、同世代が怖いのである。それは年令を問わず30代の引きこもりであっても同様である。したがって退却する若者たちを育てるには、まず彼らが安心して「群れ」られて三者関係的な人間関係を体験学習する場が必要とされる。長信田の森では、その場が生活塾自在館でありデイケアである。
2) 不登校・引きこもりへの心理療法過程
(1) 治療の場へ導入する家族への支援
引きこもりが自ら相談に動くことはほとんどない。多くは、家族の相談で始まる。引きこもる子どもにどう関わるべきか、医療に結びつけるにはどうしたらいいものか、という親の相談である。いわばマニュアルを求めての来談である。残念ながら、うまい殺し文句はない。引きこもりが長引くほどに、親は戸惑い自信を失い、子は卑屈・自己否定を深めて、親子の関係は一種の冷戦構造のように硬直化したまま時が流れていく。しかし、そのような常態であっても家族にいくつかの指針は提示できよう。
まずは、自然な親子交流の回復を目指すにはどうしたらいいかである。引きこもりを直そうと躍起になって逆に家庭内暴力を惹き起こしてきた経緯から、下手なことを言ったら荒れるのではないかという予期恐怖が子どもを王様にしている場合が多い。子ども自身も引きこもりをよしとせずに自己否定しているのだから、まずは子どもの現状にどう安心感を与えられるかにかかる。そのためには、親の側がその様態を否定したり強圧的に動かそうとしない姿勢がまずは肝要となる。第二に、関心世界の共有である。引きこもっていても子どもは社会にアンテナを張っているもの、内閉していても豊かな内的世界を展開している。その関心世界を親が把握し尊重できるかが大切である。子どもはインターネットや漫画、雑誌から入手する情報で、非現実的であれ関心世界を育んでいる。安心して引きこもれている現状が保障されていれば、子は内的世界を親に開示する時が来る。その関心世界を共有できれば親子の交流の窓が開かれよう。そして親が自分の関心や感動体験を子どもに計らいなく伝えられほどの自然さ
(2)長信田の森のデイケア活動
子どもが首尾よく外来に結びついても、すぐにデイケアという三者関係に参入はできない。鬼の棲む世間だからである。治療者・患者という二者関係が、まずは安心感があり、そして元気をもらえるものでなければデイケアへは行けないし、傷ついても逃げられるシェルター機能が約束されていなければ鬼とは交流できない。
(表-8)(表-9)
4.
精神科医療が医学医療モデルだけでは足らず教育開発モデルを付加しえても、一診療所が自己完結的に子どもたちの抱える問題すべてを解決できるわけではない。長信田の森はその限界を超えようとして、学校や精神保健機関といった関係機関との連携強化はもちろんのこと、「ないもの創る」の精神から不登校・引きこもりの「親の会」の設立など様々の精神衛生的な運動体を形作ってきた。親たちは互いがピア・カウンセリングするまでに自助的に育ってきている。また、長信田の森が全国に先駆けて精神科デイケアを通信制高校のサポート校にしえたことは、子どもたちの体験学習が教科の単位に評定される道が開かれて、彼らの前途に大きな福音となっている。さらには医療機関では前例がないことだが「生活塾自在館」が家庭裁判所から非行少年の補導委託先として認定されている。非行少年と引きこもりの若者が同じ屋根の下で生活を共にする力動は、互いにとって実に啓発的であると改めて知らされている。(表-10略)
5. まとめ
治療者・患者という二項的な関係からは育みにくい社会化の場として三者関係の場が重要である。その治療プログラムは、成長促進的・開発的な性質の体験教育が必要とされる。つまり、1)安全感の保証(安定的な二人称関係=逃げ場)とデイケア等の三人称世界の体験野(社会化の場)を用意し、そこでは2)達成感による自己肯定感の共有、3)人に役立つ体験、感謝される体験、必要とされる体験から自己効力感の育成、4)緩やかな社会参加(ボランティア、丁稚奉公、アルバイトなど)から成功体験を育み、自己イメージを修正していく成長のプロセスが期待される。
(平成17年10月、全国大学メンタルヘルス研究会議・特別講演)
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