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体験が人を創る
 

 引きこもりは自分探しの様態である。一生懸命に自分の過去を分析し、あるべき自己像を夢想しているから、自分探しの哲学者とも言える。しかし、所詮一人称の世界における思索であるから、確信のもてる人生指針は出てこない。関係性が切り離された自分探しであるからだ。

 そもそも自分とはなんだろうか。西洋の自我心理学で言う個我とは違って、日本人の自分とは、文字通り人と人との間の分け前である。私たちは関係性の質や親近の度合いによって、自分を「俺」、「僕」、「私」などと呼び分け、同様に相手の呼称も「あなた」、「君」、「お前」であるのは、自分が間柄に規定されている証左である。つまり、私たち日本人はあらかじめ個我として独立してあるのではなく、他者との関係性で自己を形作っているといってよい。だから一人称の世界で、いくら自分を見つめても迷妄に過ぎないのだ。自分の顔を鏡に照らしてしか見られないように、自分の像を知るには人に照らすしかない。その相手は、友人でもいい、ネット上の話し相手でもいい。が、歪んだ鏡は歪んだ像しか映さないから、やはり澄んだ鏡がいいに決まっている。引きこもりというプチ哲学者から脱皮する第一歩は、まず人に照らす行動から始まる。

 相談という二人称関係から少しばかり自分が見えたとしても、そのイメージはまだ虚像であり、非社会的に過ぎよう。三人称的世界で自分が実感されなければ、実体的な自分とは言えない。つまり、自分を創り変える何らかの体験が必要なのである。これまでの自己像を壊す体験だ。ある心理学者は、成長とは自己像を壊すプロセスであると言う。心の臨床に長年携わってきた小医の臨床の知でも、「体験が人を創る」が真理である。

 引きこもる青年たちは、挫折感が強く自己評価が低いきらいがある。そういう自分を壊すのである。誰もが自分を壊すのは怖い。しかし、その勇気をもらう場がカウンセリングである。それに支えられて、達成感を味わえる自己肯定の体験を、さらには人に必要とされ、感謝されるといった自己効力感を抱ける体験へと前進できれば、自信のない卑屈な自分を創り変えて行けるはず。

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